この記事では、株価指数について記述致します。
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1990年の株価指数推移です。レンジは0.3~5となっています。
1990年 フジモリ大統領就任 迷走していたペルー経済の改革を開始。この年のインフレーションレートは7,657%に達する。
1991年7月 旧通貨1,000,000インティスを、新通貨1ヌエボ・ソルに変換するデノミネーションを実施。
1991年には、デノミネーションが行われているため、異常に低い指数となっています。
1990年から1991年の株価指数推移です。
1991年7月 1,000,000:1のデノミネーションを実施
7月から僅かな間指数は安定的に推移していますが、10月から12月にかけて急騰しているのがわかります。
1991年から1992年の株価指数推移です。
レンジはおおよそ20~250となっています。
2年ほどで10倍を超える伸びを見せているのがわかります。こうした流れは当然のことながら非常に不安定な経済運営がなされていることを裏付けています。
1992年4月5日 フジモリ大統領 自主クーデター(アウトゴルペ)を行う。この体制はファシズムに近いものだったが、フジモリ大統領の支持率は4月末時点で82%にのぼった。フジモリ大統領自身が腐敗体制の一掃や、テロの根絶を目指していたため、国民からの強い支持を得ていたと言える。
1993年から2004年の株価指数推移です。
レンジは200~3600です。
11年で1,100%の上昇を見せています。80年代よりも安定したことは事実ですが、まだまだ不安定な傾向にあることがわかります。
1993年12月29日 新憲法公布
1994年6月6日 フジモリ,羽田首相と会談。円借款の供与を実現、IMF、世銀の融資、日本の援助などにより、ショック政策が効果をあらわし始める。インフレは7,000%から17%に沈静、93年の経済成長率は6.9%、94年には12.9%に達する.しかし失業率はさらに増加し75%に達する.
2000年4月9日 フジモリ大統領 17年ぶりに全土の非常事態を解除する
2004年から2011年の株価指数推移です。
レンジは3500から25000です。
2007年8月15日 ペルー大地震
世界金融危機前後で2つの大きなピークを形成しています。
直近では世界金融危機前の水準に近づいていますが、その後は下落傾向にあるようです。
1990年から2011年の株価指数推移です。
あまりにも急激な指数の伸びからもわかるように、まだまだ政治的に不安定な推移が続いていることがわかります。
直近で安定的になったとはいえ、まだまだ不安定な推移が続いているようです。
何よりも内政に不安定要素となる賄賂や汚職などを抱えているため、今後も腐敗認識指数などには注意を払ったほうがよいかもしれません。ちなみに、ペルーの腐敗認識指数は3.7で180カ国中75位となっています。日本は7.7で17位、中国は3.6で79位です。
やはり汚職が如何に社会全体を不安定にさせるかが、よくわかる例と言えるかもしれません。
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