人口、GDPについて記述致します。
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ちなみに、ベネズエラは南米北部の一国です。
1960年から2011年の人口推移です。
滑らかな人口推移を見せています。比較的内政には大きな不安が無い可能性が高いでしょう。
2011年の人口ピラミッドです。
人口のピークは0-19に形成されているのがわかります。かなり若い国家と言えます。
1960年から2011年のGDP推移です。
1980年代中盤から2004年までGDPの成長が抑制気味となっています。
2004年からGDPの成長が急激に加速しているのがわかります。
1979年 第二次オイルショックにより石油価格が上昇。同国経済の追い風となる。
1986年 逆オイルショックによって石油価格が1バレルあたり10ドルを切る。これにより貧富の格差が拡大し始める。
1989年 限界を超えた貧困化によりカラカソ暴動が発生した。(政府公式犠牲者数277人 この数字は信頼されていない。諸説あるが2000人から多いもので1万人と言うものもある。実体は不明。)
1990年 油田老朽化から外資を導入する「石油開放政策」を採択した。
1992年 第一次クーデター
1996年 麻薬の主要な密輸中継国となる。
1997年 アジア通貨危機 ベネズエラは政情不安からきついインフレが続く。
1998年 チャベス大統領就任
2002年2月 ベネズエラ通貨ボリバル・フエルテ変動性相場へ移行
2003年2月 1ドル=1600ボリバルの管理固定相場制に移行
2004年 この時期から石油価格の高騰が顕著となります。
2005年3月4日 通貨ボリーバルを12%の切り下げ。1ドル2.15ボリーバルとし輸入抑制を図る。
2007年 世界金融危機
2008年1月1日 1000分の1のデノミネーションを実施
2008年3月 アンデス危機
2009年7月 コロンビアとの外交関係凍結
2010年1月8日 チャベス、ベネズエラの通貨ボリーバルの17%切り下げを発表。1ドルが2.15から4.3ボリーバルに。
2010年7月22日 コロンビアとの国交が断絶
2010年12月15日 コロンビアとの国交が全面的に回復
2010年12月30日 ベネズエラ中銀が通貨ボリバルを切り下げ、1ドル=5.3ボリバル
ベネズエラの経済は貧富の格差が非常に激しい傾向にあります。
ジニ係数は以下の様になります。
1981 0.558
1987 0.535
1989 0.441
1993 0.417
1996 0.488
1998 0.495
2000 0.440
2003 0.482
参考:ジニ係数で読み解く世界の所得格差ランキング
係数の範囲は0から1で、係数の値が0に近いほど格差が少ない状態で、1に近いほど格差が大きい状態であることを意味する。ちなみに、0のときには完全な「平等」つまり皆同じ所得を得ている状態を示す。
社会騒乱多発の警戒ラインは、0.4である。
非常に貧富の格差が激しい傾向にあります。
輸出品目の94.7%を占める石油などの資源を持ちながら、まともな経済成長を遂げることができていません。これは、ベネズエラ最大の成長阻害要因が富裕層による富の独占と、過剰な汚職にあるためです。つまり、政治的な決着が図れないうちは、今後も経済が誤った方向へ導かれやすい状況が続くでしょう。
また、近年かねてより折り合いの悪かったコロンビアとの関係がこじれる傾向にあり、近隣国とのリスクが高い傾向にあります。
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