この記事では失業率について記述致します。
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1999年から2011年の失業率推移です。
どうも、年初年末に雇用の整理がつけられているのかもしれません。
かなり癖のある雇用情勢で有る可能性が高いです。
最後に、もう一度ベネズエラの年表を整理しておきます。
1979年 第二次オイルショックにより石油価格が上昇。同国経済の追い風となる。
1983年 ベネズエラ債務危機 対外債務をロールオーバーする
1986年 逆オイルショックによって石油価格が1バレルあたり10ドルを切る。これにより貧富の格差が拡大し始める。
1989年 限界を超えた貧困化によりカラカソ暴動が発生した。(政府公式犠牲者数277人 この数字は信頼されていない。諸説あるが2000人から多いもので1万人と言うものもある。実体は不明。)
1990年 油田老朽化から外資を導入する「石油開放政策」を採択した。
1992年 第一次クーデター
1996年 麻薬の主要な密輸中継国となる。
1997年 アジア通貨危機 ベネズエラは政情不安からきついインフレが続く。
1998年 チャベス大統領就任
2002年2月 ベネズエラ通貨ボリバル・フエルテ変動性相場へ移行
2003年2月 1ドル=1600ボリバルの管理固定相場制に移行
2004年 この時期から石油価格の高騰が顕著となります。
2005年3月4日 通貨ボリーバルを12%の切り下げ。1ドル2.15ボリーバルとし輸入抑制を図る。
2007年 世界金融危機
2008年1月1日 1000分の1のデノミネーションを実施
2008年3月 アンデス危機
2009年7月 コロンビアとの外交関係凍結
2010年1月8日 チャベス、ベネズエラの通貨ボリーバルの17%切り下げを発表。1ドルが2.15から4.3ボリーバルに。
2010年7月22日 コロンビアとの国交が断絶
2010年12月15日 コロンビアとの国交が全面的に回復
2010年12月30日 ベネズエラ中銀が通貨ボリバルを切り下げ、1ドル=5.3ボリバル
ベネズエラ通貨ボリバル・フエルテで外貨を購入するには、外貨管理委員会(CADIVI)の認可が必要です。
これは申請しても、容易には認可されず、外貨取得へのハードルを高めています。
ただし、非正規ルートとして外貨建て債券のオフショア売却によって外貨資金を得る方法があります。そうした外貨建て債券を売買する際のドルとボリバル・フエルテの換算ルートが並行レートとして、つまり、事実上の市場レートとして機能しています。ベネズエラは二重為替相場となっており、同国経済を不安定にする要因を増やしています。
どうも、こうした並行レートによってボリバル・フエルテが不安定に推移し、最終的にインフレを大きく押し上げる傾向を作り出しているようです。
つまり、早いところ変動性相場へ移行させ、並行レートを無くすことが、同国のインフレ安定化へ向けた一歩と言えます。
反米政府として名高いチャベス大統領ですが、そもそもベネズエラの半分近くの貿易は米国向けとなっており、米国依存の高い状態となっています。
つまりアメリカとの付き合いによって利益を得ているにもかかわらず反米主義と言う矛盾を抱えているわけです。こうした歪みが政治的軋轢を深めている可能性が無視できません。
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