ペルーの経済指標2 GDP

2011/10/10

☆★★ 経済 経済指標 日本語

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ペルーの経済指標を確認します。

この記事では、GDPについて記述致します。

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1960年から1980年のGDP推移です。

1962年 軍事クーデター

1968年 軍事クーデター ペルー革命

1971年 ドルショック

1975年 ベトナム戦争終結

1976年 IMF管理下に置かれる

1978年 経済政策の行き詰まりからIMFの融資を受け入れた上で、立て直しを図る

1979年 第二次オイルショック


1968年のペルー革命では、翌年にGDPが下振れしています。

その後、GDPが伸びると同時に債務が増大し、1976年にはIMF管理下に入りました。

1979年に、ようやくGDPが底打ちしました。


1980年から2000年のGDP推移です。

1980年 センデロ、アヤクーチョ州チュスチで投票所を襲い、投票箱を焼く。武装行動の開始。リマで米大使館,バンク・オブ・アメリカなどをあいついで爆弾攻撃.その後10年間の死者は1万8千人を越す。

ペルーのポルポト: グスマンは「ゴンサロ議長」と呼ばれ、制圧地域での商品販売を禁じ、主義にしたがわないものは、子供でも殺す残忍さから、「ペルーのポルポト」といわれる。一方麻薬カルテルと手を結び、潤沢な資金供給を受けているといわれる。

1980年からの10年間では暴動や破壊活動が活発化する

1982年 ペルーをエルニーニョが襲う。異常気象による経済的打撃により、経済成長率がマイナスに落ち込む。開放経済をとったことから、貿易赤字は大幅に拡大。インフレ率も73%に達する。 政府は対外債務返済のためIMFの方針に従い経済調整を実施.

1983年 ベラウンデの輸出振興戦略,失敗.・エルニーニョなど自然災害,・国内政策の失敗と・大恐慌以来の世界的な一次産品の価格低下,・高金利,外資の流出がそれに輪をかけた.70年代を上回るインフレと不況が同時に襲った.経済成長率はマイナス12%に落ちこみ,実質賃金も20%低下した.失業・半失業者が65%に達する.大蔵省は「いまや今世紀最大の経済危機となった」と宣言.

1985年 プラザ合意

1985年12月 旧通貨1000ソルを新通貨1インティスに変換するデノミネーションを実施。

1986年 逆オイルショック

1987年 石油地帯が大地震に見まわれ経済が再び危機に見舞われる。

1988年 インフレ対策を行うが、逆にインフレを煽る逆効果な経済政策を行う

1989年 GDPは89年マイナス11.9%89年度2,775%90年7,650%

ガルシア在任中の累積は2,200,200%となる。国家財政は9億ドルの赤字を抱える。一人当たりの年収は720ドル(1960 年のレベル)以下まで低下。GDPは20%以上低下する。

1980年代には南米諸国でハイパーインフレが相次ぐ。経済対策の無策による迷走の結果だった。

1990年 フジモリ大統領就任 迷走していたペルー経済の改革を開始。この年のインフレーションレートは7,657%に達する。

1991年7月 旧通貨1,000,000インティスを、新通貨1ヌエボ・ソルに変換するデノミネーションを実施。

1992年4月5日 フジモリ大統領 自主クーデター(アウトゴルペ)を行う。この体制はファシズムに近いものだったが、フジモリ大統領の支持率は4月末時点で82%にのぼった。フジモリ大統領自身が腐敗体制の一掃や、テロの根絶を目指していたため、国民からの強い支持を得ていたと言える。

1993年12月29日 新憲法公布

1994年6月6日 フジモリ,羽田首相と会談。円借款の供与を実現、IMF、世銀の融資、日本の援助などにより、ショック政策が効果をあらわし始める。インフレは7,000%から17%に沈静、93年の経済成長率は6.9%、94年には12.9%に達する.しかし失業率はさらに増加し75%に達する.

1994年 メキシコ通貨危機

1996年12月17日 ペルー日本大使公邸人質事件

1997年4月22日 ペルー日本大使公邸人質事件終結

1997年 アジア通貨危機

2000年4月9日 フジモリ大統領 17年ぶりに全土の非常事態を解除する


2000年から2011年のGDP推移です。

2001年 ドットコムバブル崩壊

2007年8月15日 ペルー大地震

2007年 世界金融危機


1960年から2011年のGDP推移です。

2004年以降の成長が顕著になっています。

ペルーの主要な輸出品は農産物、鉱物資源など市場価格の変動が激しい傾向にあります。こうした商品価格の高騰によって近年GDPが伸びる傾向にあることがわかります。



近年安定傾向にあることがわかります。

ただ、高度な輸出品は全くないため、市場価格の変動をもろに受けるやや不安定な傾向が強いようです。

今後も、銅、金、石油などの価格変動には警戒が必要でしょう。

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