この記事ではインフレーションレートについて記述致します。
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1944年から1989年のインフレーションレートです。
スパイクは1959年、1976年、1985年、1989年に形成されています。
1959年 フロンディシ政権、経済苦境に対処するため第二次内閣改造.アルソガライ経済相の引き締め政策で国民生活はさらに悪化(1958年にはフロンディシは外国資本国有化、中立外交と共産圏貿易などを行っている。一連の経済対策が根本的に的外れだった可能性がある。)
1976年 軍事政権の弾圧によりペロン派の政治家・労組指導者を次々と逮捕。3万人の行方不明者をだす。(世界的に、この時期は1971年ドルショックと1973年の第一次オイルショックの影響を受けていることが多くなります。)
1982年 フォークランド紛争 アルゼンチンの敗北に終わる
1985年 経済的な混迷が深まり、IMFがスタンバイ融資を実行
1989年 債務危機や経済対策の迷走から平価切下げを断交し、ハイパーインフレを誘発(本位貨幣の金含有量を減らし体外価値を下げる)
1989年から1992年のインフレーションレートです。
1989年12月 更に旧通貨オーストラルを切り下げ(通貨高)
※ 通貨の切り下げはデフレを抑制し、インフレを加速させます。この時は通貨切り上げ(通貨安)と政策金利の引き上げを行う必要がありました。(筆者の認識に過ぎません。)
1990年には2000%もの上昇が見られます。前年の平価切下げなどの影響を受けています。
この時期にはIMFや世界銀行から融資などを受け続けています。
1992年 新ペソの導入
1992年から2011年のインフレーションレートです。
新ペソ導入後は安定した推移を見せています。
2001年11月14日 アルゼンチン国債デフォルト
2002年 変動性相場へ移行
その後は高いインフレにあるものの、アルゼンチンの歴史的な推移の中では非常に安定した推移と言える水準を保っています。
1944年から2011年のインフレーションレートです。
1990年のスパイクがあまりにも鋭いため、他の値が異常なほどフラットになっています。
ハイパーインフレは驚異的と言えます。
ただ、現在では経済運営のノウハウが蓄積してきているので、ここまで無茶なことにはならないでしょう。
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