2011/02/09

米国債残高の歴史的な推移を分析 1791年~1849年


一気にアメリカ国債残高推移を分析しようと思ったのですが、想像以上に大変なため、4・5回に分けて記述してみます。この記事では1791年から1849年を対象とします。
1791年から1849年は、1776年に独立してから西方への領土拡大期に当たります。

米国債残高の歴史的な推移を分析 1850年~1899年
米国債残高の歴史的な推移を分析 1900年~1949年
米国債残高の歴史的な推移を分析 1950年~2010年


こちらが1791年から1849年の国債残高推移。かなり上下していることがわかります。

このグラフはY軸が←左が1791年、→右が1849年となっています。ちょっと見にくいですが、表示しにくかったため、苦肉の策として縦書きになっています。ご了承ください。

さて、こういった20世紀以前の国債残高は戦争や政治的な変遷の影響を受け易い一面がどうしてもあるため、一概に評しにくい面があります。

同期間は、北中南米大陸に属する国家が独立ラッシュを起こした期間です。アメリカの重要な出来事は…

1812年~1814年 - 米英戦争
アメリカ合衆国の第2の独立戦争と評されることもある。経済的にもイギリスから独立。

1823年12月 - アメリカ合衆国がモンロー宣言を発する。


米英戦争によって、急激な速度で国債を増やしていることがわかります。

これだけでは分かりにくいので、今度は詳細な年表を…

1789年 7月14日 - フランス革命 8月26日に人権宣言( - 1794年)
1803年 フランスから1500万ドルでルイジアナを購入。
1812年 - 1814年 米英戦争
1812年 - 1841年 ロシア,北カリフォルニアに、前進基地としてのロス砦建設
1819年 フロリダ購入(スペインより)
1830年 先住民(インディアン)強制移住法(1838年チェロキー族以下5部族6万人、涙の移住)
1833年 アメリカ奴隷制廃止協会の設立
1845年 12月29日 - 米国でテキサスが28番目に州となる
1845年 オレゴン併合
1846年~48年 米墨戦争の結果メキシコよりカリフォルニア割譲、西海岸にまで領土拡張。
1846年 米国海軍ビドル提督率いる軍艦2隻が浦賀水道に来航し通商を打診
1848年 カリフォルニアで金鉱発見 ゴールドラッシュ

領土を西方へ拡大させている時期ではありますが、領土をヨーロッパ諸国から購入しつつも、米英戦争で一度借金を増やし、その後1817年からは負債を減らし1833年から1838年は一度ほぼ無借金となっています。

借金を増やすのは、買い物なり戦争なりすれば増えるのは当然です。一方で気になるのは、国債が極端に減っている点でしょう。

歴史的な説明では米英戦争以外に経済的な説明はありません。どうも、基本的に歴史的な動きはあまり関係がない可能性があります。


次は経済的な観点から、この推移を探ります。

1791年-1811年 第一合衆国銀行の公認期間

1816年-1836年 第二合衆国銀行の公認期間 1841年に破産


これ以降、1913年のFRBまで中央銀行は存在していない。

さて、綺麗に第二合衆国銀行の公認期間は、国債残高がほぼ0へ向かう段階となっている。

第二合衆国銀行は開始から資金を失い続け、公認期間を終えると5年後に破綻している。国債が無くなると同時に中央銀行は破綻してしまった。

ここから言えることは国債が無くなると中央銀行は破産すると言うことだ。これは、国債の償還が終わると同時に市場から現金も消えてなくなるためで、現在のFRBを潰すことができないことと、よく似ている。

国家と中央銀行は、国債と中央銀行券(紙幣)を交換することによって市場に現金を流通させている。国債の増加は、同時に紙幣の流通量を増加させる。逆に言うと、国債を減少させると現金不足から中央銀行は潰れてしまう。このあたりはマネタリーベースやハイパワードマネーについて調べるとより理解しやすい。国債はマネタリーベースの裏付けとなる。

ちなみに、第二合衆国銀行が衰退すると入れ替わるように、州銀行券が代わりを担うようになったが、3万件近い異なる種類の銀行券が発行されたため信頼性にも乏しく市場に混乱をきたした。

それでも、1861年のデマンドノートまで州銀行券が主な紙幣であった。


結論として振り返ると、第一合衆国銀行は投機家天国であったバラバラの通貨事情を是正したが、1811年には「利益を独占されている」とした南部代議員からの支持などが得られず公認が継続されなかった。

その後の米英戦争により、急激な勢いで国債を増加させると、インフレに対処するため、第二合衆国銀行が設立された。

第二合衆国銀行はインフレに対処すると同時に国債を国に完済させてしまった。これによりマネタリーベースを失い、現金を発行させることができなくなり、極端な金不足を生み出した。これは、1837年の恐慌を生み出す結果となった。

1836年から1849年にかけて国債の発行高は増え続けているが、これは一つには1830年代からアメリカ大陸全土に鉄道網を敷設したことが関連しているだろう。鉄道の敷設は工業化の基礎となった。

*この記事は主に筆者の推測。正確な内容はwikiなどを参考にしてください。

以上、米国債残高の歴史的な推移を分析 1791年~1849年に関して記述致しました。

次の記事
米国債残高の歴史的な推移を分析 1850年~1899年

0 件のコメント:

コメントを投稿

この度はコメントをいただき誠にありがとうございます。
必ずしもコメントにご返信できるかはわかりませんので、あらかじめご注意ください。