米国債残高の歴史的な推移を分析 1850年~1899年

2011/02/12

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米国債残高推移の歴史的な推移を分析します。今回は1850年~1899年です。

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米国債残高の歴史的な推移を分析 1791年~1849年

早速国債残高の推移から…

ポイントは一箇所1861年~1865年でしょう。


南北戦争が勃発し借金が膨大に膨れ上がります。

ちなみに南北戦争について一つ…

奴隷解放を理想論的に捉える人が多いです。実際には経済を拡大させる手法に過ぎません。奴隷よりも労働者として働かせ、給料を払った方が柔軟な雇用体制を構築できるためです。また、単純に奴隷解放を南北戦争の大義名分にしていた側面も無視できません。

北部では既に工業化がなされており、南部のように農業が産業の主体では無かったため、立場が固定化された奴隷ではなく、より立場の柔軟な(解雇できる)労働者を必要としていました。また、無料で奴隷を養うよりも、給料を払って生産した物を消費してもらう方が経済は拡大します。(自社の労働者が自社製品を購入することが重要だと唱えたのはヘンリー・フォードです。この点は20世紀初頭に入ってから重視されるようになります。)

以上は筆者の解釈に過ぎません。

さて、ここで年表を記述します。

1861年 4月12日 - アメリカ南北戦争勃発
1865年 4月9日 - アメリカ南北戦争終了

1867年 アラスカをロシアから購入
1869年 アメリカ合衆国で最初の大陸横断鉄道が開通
11月 スエズ運河開通 工期10年

1876年 2月14日 - グラハム・ベルが電話機を発明
1877年 トーマス・エジソン(30才)、蓄音機の実用化(商品化)
1886年 カール・ベンツ(独)とダイムラー(独) 世界初の自動車生産を競う
1898年 ハワイ王国併合
4月25日 - 8月12日 米西戦争

アラスカやハワイが併合されようと、あまり大きな変動は生じていません。むしろ借金は減っています。これでは国債残高が減る裏付けとは言えません。

次に経済的な視点から探ります。

1860年までは大陸鉄道の敷設と北部の工業化、1861年から1865年までは南北戦争が、残高推移の裏付けと言えます。


1865年から1900年までは金ぴか時代と言われる時代です。第二次産業革命と産業の独占が生じた時代です。経営者が、とにかく強権的な支配力を持っていた時代でした。

特に1865年から1890年までは産業の成長に伴い国債残高は緩やかに減少している。

この残高推移に対する十分な裏付けは得られなかった。以下に筆者の推測を記述する。

この時期に多くの発明やインフラ整備が進み第二次産業革命とも言うべき工業的な発展を遂げた。これにより各社は莫大な利益を挙げることに成功した。

ちなみに、中央銀行が1836年から1914年まで存在しないため、いわゆる中央銀行券は存在しない。アメリカ財務省が発行していた銀証明書、金証明書のような形で紙幣が存在している。1971年のドルショックまで金本位体制となっている。変動相場は1971年以降に主体となった体制に過ぎない。

金ぴか時代の国債残高推移が減少したのは、1865年から1890年前後までとなる。ここまでは新たな企業が急激な成長を遂げて様々な会社の株式などがインフレを吸収した可能性が高い。

1890年代までに急激な成長は止まった。特に大きな問題は生じなかったが、経済的な格差はより大きなものとなった。汚職と経済界の極端な政治的圧力が増し、経済を圧迫するようになった。代表的な例では、ロックフェラーのスタンダードオイルが市場を独占し、不当に高価な価格で石油を販売するようになったことが挙げられる。モノポリとも言われる市場の独占はアメリカの経済が急激な成長を終えたことを間接的に告げた。

この後、20世紀に入ると、特定企業が単一産業を独占することを禁止した反トラスト法、独占禁止法の施行へアメリカは歩を進める事になります。

1791年から1849年までの推移と結合すると次のようになる。


1861年以降はグラフを読み取る事ができるが、それ以前は比較すると横ばいにしか見えないほど残高のレベルが全く異なる。南北戦争を堺にしてアメリカは完全に変わってしまったことがわかる。

こうした国債残高の推移と戦争、工業化、産業革命などの関連は非常に興味深い。

さて、1850年から1899年については、南北戦争と金ぴか時代によって、国債残高の推移の説明ができます。

南北戦争時の急激なインフレがアメリカに第二次産業革命とも言える流れを生み出しているように見えます。

一見すると無借金が望ましいと思いますが、逆に上手く運用することによって急激な成長を遂げることが可能であるのかもしれません。やはり国債残高の推移を分析することは重要と言えるでしょう。

以上、米国債残高の歴史的な推移を分析 1850年~1899年に関して記述致しました。

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